喉歌が聞こえる。

フールントゥ

最近は雨が多くなってきた。梅雨というやつが近づいている。
最近の移動はもっぱら自転車なので困るなと思っていたらパンクしてしまった。
ここ一ヶ月で2回目だ。

100円均一で、パンク修理セットを買って、今日もパンクをなおす。
なんか音楽を聞きながら修理するかという事で「KEXP」を聞きながら作業をしていると「ホーミー!?」「喉歌!?」が聞こえてきた。

Huun-Huur-Tu(フンフルトゥ)

引用:Youtube/https://www.youtube.com/watch?v=R2ovoRyv4kw&t=109s

フンフルトゥは、1992年ごろから活動しているグループで民族音楽を現代的なアプローチで表現しているので、聞きやすさが特徴的だと思った。
過去にはライ・クーダーとかと一緒に演奏していたこともあるとかで、興味がわいた。
国はロシア連邦の下の方の、トゥバ共和国という国の人たち。

自分が知見が狭いので、このあたりに詳しくないが、モンゴルに近く、アジアの中心あたり!?

気候的には山脈に囲まれてとても寒いだとか


彼らの風貌、演奏される楽器も見たことないし、音も新鮮だ。
なんといっても楽器のアンサンブルがすごい。



引用:Youtube/https://www.youtube.com/watch?v=R2ovoRyv4kw&t=109s

馬がかけているかのようなリズムで弦楽器が弾ける。
(1:10ぐらいから1曲目が開始)
私はすでに草原をかけている気分。
少し肌寒いだろうか…風が冷たいが遠くに山が霧ががってみえる…
などと想像をしていると、遠くで「喉歌」が聞こえてくる。
動画を見ると服装は民族衣装だけど、おじさんたちは、日本の田舎にいそうなおじさんたち。

まったく知らない外国の音楽とおっさんたちだけどなんか自然に聞いてしまう。
不思議な気持ち。そしてどこか懐かしい。
彼らは遊牧民で、楽曲は仕事や商業としてのコンサートの為に作られるのではなく、家族や馬の前で、ひらかれる日常的な演奏のために自然に生まれているという。
山脈に囲まれた彼らの地域では、人の行き来もすくなく文化も純粋なままで残ったのであろうか。

喉歌を聞きながら…

我々の国は、さまざまな情報が交差する。
個人の悩みとしては「今の生活・老後の生活・社会的地位・子供」など悩みなつきない。
しかし、べつに困窮しているわけでもない。ただ豊かに暮らしたい。そう思って生きている。

しかし、漠然と不安がつきまとう。
誰かが自暴自棄になって事件を起こすと、なんともいえない気持ち悪さが残る。被害者の悲しさは計り知れない。
だからいつだって、いろんな事を忘れてリセットしたいと考えてたりしている。
だけどやり方ってよくわからんなぁ となんとなく過ごす。

「喉歌」鳴らすおっさんたちの演奏を聞きながら、パンク修理で真っ黒になった手をあらう。
コーヒー片手に六甲の山でもぼぉーと眺めてると、外でだれかの子供が騒ぐ声が聞こえる。

風にふかれて、雨に濡れて、汚くなったら、キレイにして、買い物をして、料理をして飯を食う。
夜になったと思ったら、また朝がくる。
昨日、スーパーで買った、花を一輪挿しに飾る。きれいではないか。

人はもう一度自然の一つとなり、素朴に営む事が求められているのかもしれないなぁ と思ったりもする。